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ISO総合研究所誕生秘話

誕生秘話

ISO総合研究所が運営を開始したのは2000年。
それから21年。
ISO総合研究所のあゆみをたどりました。

第一章

生い立ちから独立まで

出身は長野市です。
父が借金を抱えて、夜逃げ寸前の状態でした。
そんな中、大学受験をさせてくれたので、中央大学の夜間に何とか合格しました。
父にはとても感謝してます。

大学時代はアルバイトに明け暮れる生活を送っていたんですが、女子大の非常勤講師を夢見て、経営学を学びに大学院に行くことにしました(笑)。
大学院受験は、1年浪人してしまいました。
経営学といえば、一橋大か神戸大ということで、その2校だけ受けて、神戸大に受かったんです。

大学院では就職活動はしませんでした。
ただ、大学生の頃からベンチャーに興味があって、異業種交流会等に出ていたので、ベンチャーの経営者と付き合いがあったんです。
メーリングリストで呼びかけたら、ベンチャー企業のオーナーが雇ってくれたんです。
当時は長髪でピアスを2個くらいしていたので、今思うとよく社会人になれたなと思います(笑)。
その会社では携帯の営業をやったり、SEの仕事をしていました。
会社はよくしてくれたんですけど、SEが向いていない気がしたので、1年ほどで大手コンサルティング会社に転職しました。

コンサルティング会社では、入社の面接で「年間4000時間労働だけど、いい?」と聞かれました。
当時はそんな計算もろくにせず、とりあえず「大丈夫です」と答え、入社が決まりました。
4000時間って、365日一日も休まず11時間働くというレベルです。
入社後は本当に半年間一日も休めませんでした。休めないというより、そもそも家に帰れなかったし、帰っても終電という感じで、本当に4000時間くらい働いていました。

入社して1年後に、同じチームのメンバー3人で独立をしました。
独立のきっかけは、その3人で、昼飯を食べながらテレビを見て話していた時です。
その時たまたまテレビに出川哲朗が出ていて。
出川って、いじられキャラで、バカにされる役回り。
そんな出川でも、「俺たちより、年収はずっと高いよな」と。
「それってアホみたいじゃん?じゃあ独立しようぜ」という話になって独立を決意したんです。
上司からは「反逆やな」と言われましたね(笑)。

生い立ちから独立まで
第二章

1999年7月に大阪の西中島南方にマンションの1室を借り、有限会社プリンスキーを立ち上げました。

1999年といえば、ITバブルです。サイバーエージェントを始めとして、多くのIT企業が上場していきました。
若くして成功していく彼らを羨望の眼差しで見つめ、自分にもできるのではないかと浅はかな考えでネットのサービスをやりたいと思っていました。

といってもいきなりネットサービスが立ち上がることはなく、とりあえずISOコンサルで生計を立てていました。
お金のことも全然分かっておらず、給料も「前職より多い方がよい」と、後先考えずに支給していました。
結果として、次の月には給料は前月の1/3になりました。
独立して3ヶ月で立ち上げメンバーが1人辞めてしまいました。
長野の父親から営業先を紹介で仕事をもらって、なんとかなりました。

ISO総合研究所というウェブサイトを立ち上げたのが2000年12月でした。
この名前にしたのは神田昌典さん著の「90日であなたの会社は儲かる」で、わかりやすいことが大事、屋号、会社名には色がつくと書いてあったので、この名前にしたんです。

このころはISOの取得ブームや規格の改訂があり、会社も順調に売り上げを伸ばしていました。

当時は取得コンサル費用で500万円くらい、今とはくらべものになりませんでした。

2002年の1月にはプリンスキーを法人化しました。

独立

▲神田昌典さん著の
「90日であなたの会社は儲かる」

独立

▲2000年頃のwww.prinsky.comのサイト

第三章

ISO取得サービスから取得後のビジネス

実は最初、従業員3人で3つくらいの事業をやっていたんです。

模索の中で、お世話になったある社長に 「3人しかいないのに、3つも事業やっているのは無理がある。
お金を稼げているISOに特化したら」と言われ、 結局、その当時一番売り上げていた ISO取得支援に特化することにしました。

2003年以降は順調に売り上げを伸ばしました。 当時のISO事業は、ISOの取得コンサルはもちろん、 取得後のビジネスも好調でした。
具体的には、中小企業向けのISO文書サンプルの提供や 講師派遣というのに目をつけました。

講師派遣は結構受けて、上場している大企業を含め、 年間200社くらいの会社がお客様になり、 2008年には過去最高の売上になりました。
ただ当時は伸び悩みも感じていました。
従業員は6人から増えず、 売上も緩やかに上昇していた程度。

私自身、上場したいという思いを持っていたのですが、 それなりに稼げていたこともあり、 現状を変えることができずに受け入れてました。

当時立ち上げたサイトの一つ「システムキュービッド」

▲当時立ち上げたサイトの 一つ「システムキュービッド」

2005年頃の弊社サービスサイト

▲2005年頃の弊社サービスサイト

第四章

リーマン・ショック

2008年の9月にある出来事が起きました。
リーマン・ショックです。

直後の10月は意外に好評だったんです。
なんだったらこれまでの過去最高の売上でした(笑)。
当時は「なんだ世間がリーマン・ショックと騒いでいるけど、関係ないな」ぐらいに思っていました。

しかし、11月は10月の半分の売上、 12月も7掛けくらいの売上でした。
2008年は過去最高の売上ながらも2009年に明るい見通しは一切感じられなかったのを覚えています。
結局、翌2009年の売上は、2008年の半分程度になってしまいました。

転機になったのは、ある運送会社のお客様を紹介されたことからでした。
そのお客様のお話をお伺いすると、「ISOが面倒くさいから作業を含め、やってもらえないか?」という内容でした。

しかも提示された値段も破格でした。
当時のコンサル費用といえば取得で300万円くらいでした。
私は「年間契約60万円くらいで提案して50万円くらいで受注かな」と考えてたのですがお客様が提案してきたのが年間契約で30万円。
正直「思ったより安く提案されたな、どうしようかな」と思いましたね。
ただリーマン・ショックの影響で正直困っていましたし、とりあえず受けてみようかなというのと、この値段ならお客様を拡大できるかなという2点を考えて契約することにしたんです。

この出来事によって、「お客様工数を0(ゼロ)に限りなく近づける」をコンセプトにしたISO運用代行の根幹ができました。

独立

▲運用代行を開始した2010年頃の
弊社サービスサイト

第五章

運用代行サービス

運用代行の根幹ができ、実際にニーズがあるのか確かめるべく、テストマーケティングを行いました。

古江からは、サービスが拡大していく中でも「このサービスは本当にうまくいくんですか?」とずっと言われていました。

テストマーケティングでは、まずFAX・DMを中心に展開したのですが、あくまでテストマーケティングだったので実はホームページもありませんでした。 仕様書は思いつきで30分くらいで作ったものでした。
FAXの原稿も15分くらいで箇条書きで作った簡単なものでした。

それ以外にもそれまでお付き合いしていたお客様へのお声掛けでお客様数を増やしていきました。
とりあえず2010年は100社できないかなと思ったら、106社のお客様とご契約できたんです。

運用代行サービス
第六章

事業拡大

2017年度は1600社、2018年度は1800社、2019年度は2000社、そして2020年度は2400社を達成し、順調にお客様数を伸ばしていきました。

現在、当社は拡大期で約2500社のお客様がおり、毎月30~40社ずつお客様が増えている状態です。
この先もお客様数を増やし続けていきたいと考えております。

運用代行をご利用いただいているお客様から、

「ISOに奪われる時間と、ISO総研に依頼するコストを比べたら、即断で依頼だね。」
「口だけ出して作業をやらないコンサルばかり。ISO総研さんが支持されるのはわかります。」
「金額も圧倒的に安い!その上、手間ゼロで4か月認証できました!」
「本業に専念できるという、うたい文句が本当だった!」
「社内的な労力を減らせています!」

というお声をいただいております。
世の中にはまだまだ多くの会社様が負担を感じている現状があります。

そして私たちの運用代行サービスを実感していただき、楽になった!とおっしゃっていただける、そのような企業を1社でも増やしていきたいと考えております。

事業拡大へ
第七章

誇れる会社へ

創業から約21年、多くのお客様とのお取引が実現し、コンサルタント80名、社員総数176名を超える、業界No.1の組織へと成長することができました。

当社のサービスは「丸投げ」と勘違いされがちですが、本質は「お客様がすべき意思決定」「プロに任せた方が良い作業」を分け、負担を減らすことにあります。
例えば家を建てる時、「こんな家に住みたい」という希望は伝えるけれど、自分で釘は打たないですよね。認証取得についても同じだと考えています。
お客様のご希望を、ISO・Pマークのプロとして叶えるため、今後も励んでまいります。

誇れる会社へ